旧国鉄の一般形電車。
京阪神地区の看板列車「新快速」に製造された系列。1972年当時113系で運行されていた新快速は、冷房装備車である153系に代替わりしたものの、2扉デッキ付きという構造上ラッシュに対応することはできなかった。さらに致命的なことに、かつ併走する私鉄各社は転換クロスシート車を導入しており、ボックスシートを装備する153系ではこれらに太刀打ちすることは難しい状況にあった。
そこで、この2つの問題を一挙に打開するために製造されたのが117系である。既に登場していたキハ66系をベースとし、両開き2扉、デッキ無し構造、転換クロスシートを採用。デザインも個性的で、伝統であった東海型から脱却。157系に似た鼻筋の通った顔を持つ。
また、電動機系は113系と同一であるが台車は急行形のものを使用するなど、113系と165系の折衷的な側面も強い。それら点から、185系とはある種の兄弟車的な関係にあるともいえる。
本系列導入の影には、当時の大阪鉄道管理局による本社へのゴリ押しがあったとも言われており、上記のように従来の国鉄車とは一線を画す車両が登場することとなった。その特殊な事情から当初は大阪圏のみに投入されたが、後に名鉄との競争上必要不可欠として名古屋圏にも投入されている。
国鉄時代には結局大阪と名古屋にしか投入されることは無かったが、前述のように東京圏には185系が投入され、また115系にも本系列の設計思想を受けた番台が登場している。
新造車は初期型と国鉄末期に運用調整用の二種類に大別が可能で、このうち初期車が0番台に分類される。後期車は100/200番台に分類され、側窓の一段降下化、台車のボルスタレス化、車内レイアウトの改善などいくつかの点が改良されている。このうち名古屋圏に投入されたグループは、編成短縮による運用増加を目的としており、先頭車のみの存在である。
JR化後には名古屋地区、大阪地区ともに後継車が登場。それぞれ第一線を退き、西日本ではロングシート化を行った300番台が登場、このほかに115系に編入改造されたグループも存在する。
JR東海では、311系の登場により新快速運用から撤退。現在では普通列車を中心に運用されている。
JR西日本においても、221系の投入により新快速から離脱。300番台への改造や短編成化が行われ、福知山線や湖西線、奈良線、岡山地区へと転属していった。その後、221系による快速が福知山線及び奈良線で運用されるようになり、一部は日根野電車区電車区へ転属。さらに運用の幅を広げることとなった。
さらに、福知山線での脱線事故の影響を受け、ATS-Pを搭載していなかった本系列は福知山線から撤退。湖西線や草津線に転属し、押し出しで100番台が岡山地区に異動している。また、一部の300番台はそのまま岡山地区に転出した。
現状において、東海では313系の大量投入による淘汰対象には入っておらず、当分は残存するものと思われる。また西日本においても、国鉄時代より大幅に運用範囲が広がっており、かつ117系よりも車齢の高い車両も数多く残存しているため、こちらも当分は安泰であろう。
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