旧国鉄の一般形電車。
80年代初頭には、地方線区に多くの旧型国電が残存していた。これを置き換えるべく製造されたのが本系列である。
従来の新性能電車でローカル線区用に2連を組成した場合、ユニットモーター車の原理によって2両ともに電動車となってしまう。これでは不経済であることから、旧型国電同様のシステムを採用、久々の1M車となった。コストダウンを念頭においていたため、基本的な機器類は制御機器を除いて、103系と同型のものを使用している。
形式が103系の続番となっているからもわかるように、通勤用として位置づけらている。そのため、車体は幅狭で、座席は201系を基本としたロングシートである。前面形状は、増解結を考慮した貫通型で、窓周りがへこんだ独特なものとなった。
主に西日本地域に投入され、新製車と改造編入車の二種類のグループが存在している。
新製車は81年に登場したグループで、基本番台を名乗る。側扉は3枚で、山陽地区にのみ投入された。
改造車は、84年に登場したグループ。203系の投入により余剰となった103系1000番台を中心とした、103系から改造された。そのため、新造車と異なり側扉は4枚である。
改造車両のうち、中間車から改造された車両は、0番台と同様の運転台が設置されているが、制御車から改造された車両は運転台をそのまま使用した。そのため、103系1000番台自体は消滅したものの、その独特な顔はいまでも見ることが出来る。このほか、103系0番台【低運】からの編入車も少数だが存在している。
ただし、この法則には例外があり、中間車から改造されたものの、105系の廃車体の運転台を活用したため、103系1000番台の顔を持つ車両も存在する。
これら103系の運転台をもつクハの形式は、新製車のクハとは異なりクハ105となった。
当初、新製車は全車が非冷房であったが、冷房化はすでに完了。30N体質改善工事が行われたものも登場した。後のマリンライナー用213系のローカル転用によって余剰が生じたため、一部は和歌山地区に転属している。
改造車グループは、同世代の103系が体質改善工事や窓埋工事を受けているのに対し、本系列で同様の対策を施しているのはごく少数に限られている。また、上記の新製車の転属車によって発生した余剰車が広島に転属。103系からの改造車両が淘汰せれつつある。
このほか、JR東日本に103系から改造された車両が存在していたが、すでに廃車となり訓練車に転用されている。このグループには、先頭車化改造車を含めた全車が103系顔【低運】であった。
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